あらの(一人)麻雀研究所

当たり牌読み

当たり牌読みとは

ここでいう当たり牌読みとは、相手が聴牌していると分かった場合に、どの牌で待っているのかを推測することです。

基本的には手牌読み山読みのページに書いてある通りで、相手の手牌を読むことは通常出来ませので、もちろん当たり牌を予測することも不可能であるという結論になります。

麻雀マンガなどでは、相手の当たり牌を一点読みし、それをかいくぐるような和了を目指す話がよくありますが、それはあくまでもマンガの世界の話だということです。当たり牌を予測しようというのは、ほとんどの場合無駄な努力に終わるのです。

 

ではどうするか

さて、ここまでの結論は「読み」というものをほとんど全否定するものでした。相手の手牌も山に残っている牌も、当たり牌も読むことは難しいと言えます。少なくとも自分の行動の判断基準にするほどの精度で読むことは出来ません。

これではわざわざ四人で麻雀をやる意味がないように思われます。相手の手をまったく読まずに、ただ単に自分の手牌だけを見て手作りを進めるのであれば、それこそ一人麻雀練習機をやっている方がよっぽど有益です。

麻雀においては、やはり相手との駆け引きが醍醐味であり、そこを楽しむのが本来の姿であると思います。多少理論的には間違っていたとしても、相手の捨て牌などからいろいろ推理をし、それをもとに駆け引きをするのは悪いことではないと考えています。もちろん、それが麻雀の成績に対して有利に働くかどうかは相手の戦略次第ですが。

 

見えている事実

そういった楽しみのための読みについては否定するものではありませんが、それを行うにあたり忘れてはいけないことがあります。

それは、見えている事実と読みの結果とを混同しない、ということです。

例えば5000点リードで迎えたオーラス。二着目がドラの中をポンしました。

このとき見えている事実から言えることは、二着目が上がった場合には逆転される、ということだけです。「あの人がドラをポンしたからには一向聴にはなっているはずだ」とか「捨て牌から考えてマンズで待っている気がする」というのは単なる推理です。ここの区別をはっきりとつけておかなければいけません。そして、常に推理の結果よりも見えている事実を優先する必要があります。

この状況でさらに10000点差の三着目がリーチして来たとしましょう。「あの人がリーチするからには少なくとも満貫はあるはず」とか「ドラが見えているので、あれは二着狙いのリーチだろう」というのは推測に過ぎません。見えている事実は三着目がリーチをしたということだけです。

この違いを分かった上であれば、それを根拠にして勝負に行ったり、降りたとしても別に構わないと思います。これが損か得かは相手の戦略次第ですが、平均的にはプラスマイナスゼロになるはずです。そうであるのなら、いろいろ考えて判断した方が楽しめるのではないか、ということです。

もちろんこれは、総合期待値が同じくらいの場合に限った話です。自分の手牌が三向聴なのであれば、競り勝つ可能性はほとんどなく、期待値的には大きなマイナスです。そういう場合はいくら読みに自信があるからといって、それを信じるべきではありません。

 


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