あらの(一人)麻雀研究所

流れ

流れとは

麻雀の世界では、運の動きのことを"流れ"という言葉で表現しています。

例えば手牌が一向聴で、4が浮いていたとき、2をツモってリーチ、次順に3をツモ、という状況があったとします。このとき、

  • 先に3か5を持ってきてリャンメンに出来ないのは悪い流れだ
  • 今日の流れから考えて、このリーチはツモれると思った
  • この上がりで少しは流れが変わるはずだ

などといった使い方をします。これらの考え方は正しいのでしょうか?

 

流れは存在する、しかし予測は出来ない

運の偏りの事を流れと呼ぶのであれば、流れは存在します。

例えば半荘3回続けてトップを取れば、それはおそらく運が良かったからであり、いい流れだった言えるでしょう。しかし、他の3人が消極的/自暴自棄になっているなどの外的要因を考慮しなければ、次の半荘でトップを取れる確率がいつもより高くなっている訳ではありません。

つまり、流れは存在するが予測することは出来ない、という事です。

コイン投げやサイコロの例を出すまでもなく、ランダムな事象を予測することが不可能であることは自明です。ランダムとは予測できないものなのです。逆に予測出来るのであれば、それはランダムではありません。

にもかかわらず、麻雀を打つ人の多くは流れの良さ、悪さを感じ、それに応じた行動をとってしまうことがあります。例えば、過去の運が悪かったことを理由に、将来も運が悪いという予測をしてしまうことがあるのです。

以下にいくつか例を示してみます。

 

■ダントツトップの親が3連荘した。次の配牌を開いたらいつもより手が悪いと感じた。これは流れが悪いせいだ、無理はしないようにしよう。


■4着で迎えた親番で、跳満まで狙えそうな手が入った。しかし、まずは流れを引き寄せるために安くてもいいから確実に上がりにいこう。


■リーチドラ3を放銃してしまった。次局その人から5巡目にリーチが来た。手牌は勝負にいける状況だし、相手も安そうだが、さっきのことがあるのでベタオリしよう。


■3連荘している親から3巡目にリーチが来た。やはり流れのある人には逆らえないなと思った。


これらはいずれも、運の流れに対する認識が間違っていることが原因で、誤った状況判断をしてしまった例です。ほとんどの人は経験があるのではないでしょうか?

人間である以上、理不尽と思えるほどの運の偏りに直面したとき、感情的になってしまうことは避けられません。

運が悪いことが続けば、行動が消極的になってしまったり、逆に自暴自棄になって無謀な勝負を挑んだりもしてしまいます。逆に運が良い事が続いた場合には、何をやってもうまくいくと思い、次もまた運が良い事を期待してしまいます。

麻雀においてこのような間違った判断をなくすためには、運の流れに対する正しい認識を持ち、多少の運の偏りには左右されない強い精神を身に付けることが必要なのだと思います。


Copyright 2006-2019  あらの(一人)麻雀研究所

All rights reserved.   あら ( ara999 あっと gmail.com )